ビットマスター│今話題のビットコインと、パワフルなビジネスが一つに。

  • ライフイノベーション、来たるべき未来へ
  • ビジネスセミナー開催スケジュール

最新ニュース

トップ > 最新ニュース > ビットコイン、苦難の必然

ビットコイン、苦難の必然

2014/12/12

2014年2月の大手取引所「Mt.Gox(マウントゴックス)」の破綻で期せずして日本で注目を集めた「ビットコイン(Bitcoin)」。

 

暗号通貨あるいは仮想通貨とも呼ばれるビットコインはこの事件で知名度を一気に上げた一方で、負のイメージを帯びることとなった(関連記事:ビットコイン事件 ~ネット仮想通貨の未来を探る~)。

 

 テレビや紙面を賑わせることは一時と比べれば格段に減った。

だが、ビットコインは消えない。

根を這わせるかのごとく、様々な市場に広がり、また新たな産業を少しずつ生み出している。

 

 2014年8月には楽天が米国のグループ会社でビットコインの取り扱いを開始。日本では10月に、ビットコイン業界団体「JADA」が本格的な活動を始め、11月には取引所大手のKraken(クラケン)が日本市場に進出した。コインパス(東京都新宿区)をはじめ、決済サービスを手がけるスタートアップ企業も出始めた。

 

ビットコインの仕組みに着目し、その応用策を考える動きも世界中で広がりつつある。

 

 発行主体を持たないビットコインに手を焼く各国政府の対応も様々だ。

 

ロシアやインドネシアのようにビットコインを禁止する国もあれば、日本のように通貨でもモノでもない「価値記録」(価値を持つ電磁的記録の意味)という新たな定義を与えようとする国もある。

 

 賛否両論を巻き起こしながらも、ここまでの存在感を示すビットコインには、何かしらこれまでにない魅惑の力があるのは確かだろう。

 

そして、その背景はこれまで幾多の歴史を経てきた通貨ならではの必然があると筆者は見ている。

 

語り継がれる小さな町の大きな奇跡

 

 今から遡ること85年前の1929年10月24日、米国のニューヨーク証券取引所で株価が大暴落し、その余波が世界各国に広がり大不況を引き起こした。世に言う、世界恐慌だ。

 

この時、オーストリアの小さな町が取り組んだ不況対策が未だに語り継がれていることをご存知だろうか。ヴェルグルと呼ばれたその町は現在、人口1万3000人の市になっており、オーストリアのチロル州クーフシュタイン郡に属している。

 

 オーストリアは1931年5月、大銀行だったクレジットアンシュタルト銀行が破綻し、これが原因で世界恐慌に飲み込まれたと言われるほど世界不況の中心にあった。ヴェルグルも例外なく不況の煽りを受け、高い失業率に悩まされていた。

 

 当時、町長だったミヒャエル・ウンターグッゲンベルガー氏は1932年7月、事態の解決に向けある「通貨」を発行することにした。正確には労働証明書だが、失業者対策で緊急実施した公共事業の賃金として支払われたこの通貨は、税金の支払いや物品購入に使えた。

 

 だが、この通貨はある特異な特徴を持っていた。

 

毎月、持っているだけで価値が1%ずつ目減りしていくよう決められていたのだ。一定期間ごとに額面の1%分の印紙を貼らなければ使用できなくなったこの通貨は、貯蓄に回すと価値が減っていくため、すぐに皆が使うようになった。

 

この結果、消費が大幅に促進され、税収が回復したヴェルグルの経済は不況下にも関わらず活発化し、オーストリア内で初の完全雇用を達成した。

 

 これは、小さな町の出来事に過ぎない。だが、「ヴェルグルの奇跡」と言われるこの不況対策は多くの都市が注目し、同様の仕組みを導入する機運が著しく高まった。

 

 これを問題視したのはオーストリア政府だ。

 

貨幣発行は国家の独占的権利とした政府は、国家の通貨システムを乱すという理由で規制に動き、1933年9月にこのヴェルグルの通貨は廃止に追い込まれた。

 

 現在の日本は低金利政策が長期にわたって続けられているため実感しづらいが、銀行に預金すれば利子が生まれる。

 

当時、不況による失業者数の拡大に頭を悩ましたウンターグッゲンベルガー氏がこの真逆の性質を持つ、貯蓄できない「老化する通貨」を導入した背景には、ドイツ人経済学者のシルビオ・ゲゼル氏が唱えた「自由貨幣」理論がある。

 

 ゲゼル氏は1862年生まれ。アルゼンチンに渡り、事業を展開して成功を収めるも、インフレとデフレを繰り返すアルゼンチン経済を目の当たりにし、金融問題の研究に没頭し始める。

 

彼の代表的著書である『自由地と自由貨幣による自然的経済秩序』では、あらゆるものの価値が目減りするなかで、通貨だけがその縛りを受けていないことを問題視した。

 

そして一定期間ごとに一定額のスタンプを貼ることを使用の条件にする仕組みで通貨の退蔵を防ぐ「スタンプ貨幣」の仕組みを提唱した。

 

まさにヴェルグルの取り組みはゲゼル氏の理論に則って実現されていた。

 

 ゲゼル氏が投げかけた通貨に対する疑問は、著名な児童文学作家にも多大な影響を与えた。代表作『モモ』で知られる日本でも人気のミヒャエル・エンデ氏だ。

 

 1973年に発刊された『モモ』に登場する、人々から時間を盗む時間貯蓄銀行から来た灰色の男たちや、節約した時間を預ければ利子が利子を生んで何十倍もの長い人生が送れるという甘言に騙されて心の余裕を失った人たちなどは当初、多忙を極める現代人に対する警鐘として読まれていた。

 

だが後に、エンデ氏は現代の金融システムに対する問題意識を提起したかったことが判明している。

 

 NHKは晩年のエンデ氏に取材している。

 

1999年に放送した「エンデの遺言」では、生前の2時間に及ぶインタビューのテープの一部が公開された。この中で、エンデ氏はこう述べている。長くなるが引用してみよう。

 

「私が考えるのはもう一度貨幣を実際になされた仕事や物の実体に対応する価値として位置づけるべきだということです。

 

そのためには現在の貨幣システムの何が問題で、何を変えなくてはならないかを皆が真剣に考えなければならないでしょう。

 

人類がこの惑星上で今後も生存できるかどうかを決める決定的な問いだと私は思っています。

 

重要なポイントは例えばパン屋でパンを買う購入代金としてのお金と株式取引所で扱われる資本としてのお金は二つの全く異なった種類のお金であるという認識です」。

 

 エンデ氏は現代の通貨が持たされている役割が多過ぎると指摘していた。

 

交換手段や財をため込む手段、資本や投機の手段とあらゆる機能を持たされた現代の通貨は、疲弊を来しているのではないか。

 

ビットコインは通貨の地位を得られるか

 

 現行の金融システムが決して万能でないことを、ほとんどの人は認識している。だからこそエンデ氏をはじめとする多くの人々から、通貨は疑問を投げかけられてきた。

 

 日本ではバブル崩壊の余韻が20年以上経過した今も残り、リーマン・ショックに端を発した世界的金融危機は人々の生活に多大な悪影響を及ぼした。

 

日本政府は税収だけで歳出を賄えず、普通国債の発行残高を含めた借金は1000兆円を超えている。

 

膨れあがる遺伝子を生まれたときから持たされた現行の金融システムは多くの問題をはらみつつも、逆戻りできないレールを突き進んでいる。

 

 だが、現在の通貨も一朝一夕で生まれた訳ではない。

 

例えば、今でこそ当たり前のように使っている日本の円も、日本国通貨の歴史をたどればいかに苦心の末に生み出されたものかが分かる。

 

政府は幕末、明治維新へと進む中で、通貨の統一に手を焼いた。

 

 「東の金遣い、西の銀遣い」と言われていたように、両・分・朱という単位の金貨を基本とした江戸を中心とする東国と、銀何匁という重さの単位で価値を示す大阪を中心とする西国で、異なる通貨が流通していた。

 

初の全国通用紙幣である太政官札を発行しても政府の信用が低く、なかなか流通しなかった。

 

 幕政時代の遺物とも言える全国に200種類以上あった藩札の問題もそれに加わった。

 

贋金や贋札の問題はいつの時代の通貨にもつきまとった。

 

渡辺房男著の『お金から見た幕末維新~財政破綻と円の誕生~』(祥伝社刊)では、これらの歴史が分かりやすく解説されている。

 

 こうした一つひとつの問題をクリアしてきて今がある。

 

ようやく「通貨の額面価格の単位は円とし、その額面価格は1円の整数倍とする」と定めた「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」が施行されたのはほんの27年前の1987年(昭和62年)だ。

 

それまでの貨幣発行の根拠となる法律は1897年(明治30年)に施行された貨幣法、および1938年(昭和13年)に施行された臨時通貨法まで遡る。通貨の歴史はすなわち苦難の歴史だ。

 

 翻ってビットコインが生まれたのは2009年1月。ようやく“発行”から5年が経過しようとしている段階だ。通貨としての歴史を見れば、あまりにも浅い。

 

それだけに様々な問題を指摘されることも多い。

 

 だが、貨幣が数多くの苦難を乗り越えて通貨としての地位を得てきたことは歴史が証明している。

 

ビットコインも同様だ。

 

苦難に耐え抜いた先に通貨としての地位を得る日が来る可能性が決してゼロではないこともまた、歴史が証明していると言えるだろう。

 

貨幣は流通して初めて通貨になる。

 

ビットコインに課された課題は、指摘される諸問題への対応というよりも、むしろその流通性をどこまで高められるかにかかっている。